4人出の私が11月24日から見た景色




KAT-TUNにハマりたての2014年、私は番組協力に行きたいという欲がとくになく、2015年に入ってからちょくちょく応募し始めた。
それでも当たらないのが当たり前だと思っていたし、外れて悔しい!!!なんて気持ちは湧かなかった。


そして生まれて初めて当たったジャニーズの番組協力、11月24日、私はベストアーティストの会場にいた。


ステージから遠めの位置にいた私は登場した彼らの表情をしっかり見ることができなかった、ただの結婚発表だと思った、私はかつん担になって初めてあの痛みを味わった。
周りの友人からよく、あんな痛みは知らなくていいんだよ、知って欲しくないと言われていたが、私は4人の安定を心から信頼する反面、同じ痛みを共有できないことを少し恥じていた。
だからあの発表を聞いた瞬間、また一歩、かつん担に近づけた、と少し安堵してる自分がいた。
しかし与えられたのは想像を絶する痛みだった、自分はコンサートに来たのではない、これは番組協力だ、座ってはいけない、手拍子、拍手、歓声を上げなければいけない、
会場のボルテージは急降下し、スタッフさんが何度も必死に声を掛けていた、それをどこか遠くに見つめる自分がいた、会場がとても寒かった


次の日に上田くんの舞台『青い瞳』の前楽があった
2時間しか寝られなかった、起きてしまった、寝た気もしなかった
フォロワーさんたちとガストで傷を舐めあい迎えた前楽
カーテンコールで上田くんは私たちを安心させるように笑っていた、最後に袖で舞台に1人になった上田くんはいつも以上に低く、長いお辞儀をした。その時の会場は千秋楽よりも拍手の音が大きかったと私は思っている。


千秋楽、
アライが死んだ直後のサムとミチルのシーン 私は千秋楽この日のこのシーンだけミチルを勝手に田口くんに置き換えて観劇していた。

「よそ者のオレたちとあのブランコで一緒にいることがおまえにとっては別の場所にいることになったんだろう…。」

ミチルにとっての本当の場所は家庭だった
田口くんの中でKAT-TUNはいつしか別の場所になっていったのかもしれない
そして上田くんも田口くんの物語の登場人物の1人になってしまうんだと

そして私は初めてこの目で、演技であれ泣いている上田竜也を見た。偶然と偶然が重なり私は涙が止まらなかった。


程なくして12月1日
少プレの番協が当たった。
私はきっと私が4人の姿を見れるのはこれが最後だと腹を括りNHKに足を運んだ、実際にこれ以降4人を見ることはできなかった。

時間の関係でいつもしていた収録後のトークができないとスタッフさんに言われたKAT-TUN自ら挨拶がしたいと、収録前にファンの前に姿を現してくれた。
田口くんはとてもかっこよかった、悔しかった
話す前は中丸くんの顔が死にそうになっていたが、話始めたらいつも通りのMCのようなテンションで少し安心した。
つーこさんが少し話をして、KAT-TUNをなくさないで!と誰かが叫んだ
あなた達次第、泣いてないでがんばりなさい! と言われた。今考えれば

いや!!!事務所ががんばれよ!!!!!!

とトマトでも投げそうな勢いだが、その時は

は"""!!!!!い"""!!!!(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)

と言うしかなかった、もはや新興宗教である。

1週間後の12月9日
ゼウスの番協が当たった
ここまでくるとファミクラに認知されたか?と思いビクビクしていたがこれ以降当たらなくなったのでとりあえず運を使い切ったんだなと思っている。

KAT-TUNからの出演は上田くんと中丸くん
私がろばまらーだからかもしれないけれど、上田くん好きな人は中丸くんも、中丸くん好きな人は上田くんもという方も多いんじゃないのかなー?と入る前思っていて、実際そうだったと思っている。
それ程にどちらかが活躍するたび、会場にいるかつん担がすごく大きな声をあげている印象があった。
私の入った回では中丸くんがとても活躍していて、彼の苦手な高所での種目、ブレイブロードでは、どの選手も到達できなかったエスケープゾーンの先まで進んでいた。
あの時の2人には、少しでも結果を良くし、KAT-TUNの名を残さねばならないという使命すら背負っていたのではないか、そんなことを思ってしまうぐらい鬼気迫るものがあった。



ここから私は茶の間に戻り、次にKAT-TUNをこの目で見るのは4月3日、10Ks!ツアーの初日、ナゴヤドームとなる。

地元名古屋、しかもKAT-TUN初めてのナゴヤドームが初日
私は嬉しくて嬉しくて仕方がなかった
普段生活していたあの場所にかつん担が集まる あの頃名古屋のPRをしまくるぐらいに喜んでいたこと、フォロワーさんなら分かって下さるでしょう(笑)

海賊船からGOLDで登場した3人は震える程かっこよかった。私がみたcomeHere、quarterは現在のKAT-TUNそのもの、スタイリッシュかっこいいもちろんquarterのRAYをアリーナで見たことは死んでも自慢できる、がしかし、10KsのOPこそは

ウォオオオオオオオオこれDVDで見たやつうううえああああうううえええううあああああ海賊船!!!!!!!!ゴテゴテ衣装!!!!!!!!ドクロ!!!!!!!!!金貨!!!!!!!!KAT-TUN!!!!!!!!!!イエェエェエエエイ!!!!!!!!!!
ってかんじ。原点回帰だ、殺される、と本気で思った。中丸雄一の低音パート、いや聞いてない、こんなの聞いてない、耳が妊娠する、オギャー

ただやはり初日もあってか歌い忘れが多かったり、大変だと実際亀ちゃんがMCで言っていたり、充電期間も受け入れるしかない結論だったのかなと、思ったりも、した。

大阪が始まるまでは

こんな完成されてきて東京に行ったらどうなっちゃうんだろうと思った、名古屋でのハラハラドキドキを見事に吹っ飛ばした大阪
とにかく楽しかったという思い出しかない
ホテル帰っても今日ほんとにたのしかった…ね…すごい楽しかった…と語彙がいつも以上に死ぬぐらい


そして迎えた東京初日
スタンドのドセンター、これでもかってくらいドセンター、私たちから一塁側が始まってたくらいのドセンター



え!?!??こんな最初の文あったっけ??????え、???上のKAT-TUNって文字あった!??!、?え、わかんない!!!!!!!!わあ!はじまる!!!いえーーー、エエェエエェエ???!!!!!??!!ぎゃーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!水!!!!!水!!!!!!!!水!!!が!!!!!アアアアアア!!!!!!すごい!!!!!ヤバイ!!!!!え、ヤバ、むり、すご、え!!!!!ヤバイ!!!!!!! ※忠実な再現

多分東京初日のかつん担みんなこんな感じになってたと思う。
私、はじめて観れました、KAT-TUNコンサートの水演出、RAYの特効がしょぼいって言ってたのもJETと哀藍がない!!って騒いでたのも全部飛んでった、水、水is最高。


30日、念願の天井席
高所恐怖症の私は席に着くまでにたいぶ半泣きになってたけど、前が通路でよかった、転がっても落ちない。
でもそんな怖い思いをしてたどり着いた天井席は天界だった。
overtureの時明かりは消えるがドームの天井から漏れる光はまだ消えない、そんな光景が今まで見てきた数々のKAT-TUNライブのDVDと重なり、私は今あの時間と同じところにいると思ったらとてつもなく興奮した。

私はどの現場でもペンライトの動きを見るのが好きで、ハルカナ約束、リアフェなど振り付きの曲はすぐ客席を見てしまう(故においしい場面をよく見逃す)
天井席から見たペンライトの動きは圧巻だった、赤く染まるドーム、まさに血染めの紅(中丸くんより)
そして特効ペガサス盛りのUNLOCK 水飛沫の余韻に照明があたり、それはそれは美しかった。


この日初めて亀ちゃんは6人の名前を出した。 オーラスまで泣かないと思っていたが、亀ちゃんの口から田口淳之介のフルネームを聞いたとき決壊した。
私はしゃべくり出の4人からのファンだ
確かにKAT-TUNを知っていく過程で6人も5人も大好きになった、しかしどうしてもリアルタイムで注いできた愛とは重さが違うわけで、私が愛した時間は確かにあったのだと、KAT-TUN田口淳之介は存在したのだと、再確認できた。
きっとそれはじんちゃんやこきたんのことにおいても同じことなのだろう、その日からツイッターには様々な時代の映像、画像、音声が流れ、みんな思い思いにKAT-TUNを愛している、それが許されるグループなのだ、KAT-TUNというグループは。
なんて優しい世界なんだろう
それを許したのは他でもないKAT-TUN亀梨和也上田竜也と中丸雄一だ。

そんな3人が一度バラバラになって充電期間に入ってしまう、5月1日午後6時に始まったコンサート、私はこの回を伝説のコンサートと呼びたい。

私の大好きな上田竜也は最後の出航だと叫んだ、この時既に彼は感極まっていたんだろうと思う、私は噛み締めながら泣いた。

コンサート中盤、MCや天狗のシーン、明日から充電期間に入るというのにいつも通りおもしろくて、かわいくて、友達とツッコミを入れながら笑ったり、突然のタッチやろばまるに悲鳴をあげたり、充電期間なんて夢だったのかもしれない!とさえ思った。
しかし無常にも時は過ぎていくもので、ふと気がついたらラストスパートのバウンスガールだった、
TRAGEDYを観ているとき、わたしは11月24日からの悲劇を走馬灯のように思い返していた。
連日のお通夜のようなTL、SMAP騒動と同時期にこれからのKAT-TUNの行方が見えなくて、不安に駆られながらハガキを書き続けた日々、順調だった素晴らしい冠番組からの卒業、次々と赤裸々なことが語られていく10000字インタビュー、初めてのKAT-TUNのアニメ主題歌、絶望の日々の中で喜びを少しずつ少しずつ見つけていた、そんな大変なときにTRAGEDYは発売したんだなあと、そんなことを思いながら私はまた泣いてしまった。涙腺が緩い。


ユメユメ後の挨拶はもう、これでもかってぐらい泣いた、嗚咽ってこうだったなって久しぶりに思った、親と大喧嘩して涙と鼻水で顔がフランケンシュタインみたいになるあの感じ、まさか20過ぎてこんなに泣くと思ってなかった。

上田くんの涙声でとろとろと頭に流れ込んでくる優しい言葉たちは、私がDVDで見た神様コンの上田くんと何も変わっていなくて、私は上田くんの純真で無垢でまっすぐな所がだいすきで、これからも上田竜也の心を守りたいと心から思ったし、私じゃやっぱりできないので中丸くんと亀ちゃんに心から託した。

中丸くんはファンに発信できるコンテンツが少なくなることを心配してるという話をいつもしていたけれど、オーラスだけファンとのコミュニティを薄くしたくないの「ない」をすごく強調していたイメージでいて、本心を言ってくれてると思ったし、すごくその言い方が駄々っ子みたいで子どもみたいで、なにより男の子っぽくて、そういう面を私たちに見せてくれたことに泣いた。

亀ちゃんの挨拶はK亀梨和也のKから泣いた ほんとに亀ちゃんの挨拶が一番泣いた、ここ、ここね嗚咽ポイント、
正直亀ちゃんがなに話してたかはマジで忘却の彼方なんだけど、私は6人時代も5人時代もテレビで適当にジャニーズならKAT-TUNかな〜という程度で見てた人間です、ほんとならあんなに号泣する資格はないんだけど、亀ちゃんの1つ1つ心にくる言葉と私の勝手な亀梨和也の憶測でジャンジャンバリバリ泣いた。
多分亀ちゃんの挨拶から決壊した人が多かったんだろうけど、それを見てふっ、泣くなよ。みたいに笑うんだもンンンンンンンンンンンンンンンんなもん泣くわ(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)


ごめん、泣いたけどここだけ言わせて ロバ丸ーーーーーーーーーーーーーー!!!、、!!!!!!!!!!!!、!!、、!!!!!!!!!!!!!!、!!!!!!!!!、、!!!!!!!!(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)(泣)

だってKAT-TUN結成前から隣同士で未来に向かって歩んできたんだもんね!?!?、!、?!、!?!そりゃ抱き合ってもしゃあねぇわ!!!!!!!!!おじさん許す!!!!!!!!!

3人で抱き合うKAT-TUNを見て、はじめてKAT-TUNっぽくないKAT-TUNを見た気がした
きっと10年に一度ぐらいしか見れないんだろうな。涙で顔をくしゃくしゃにしながら、愛しそうにメンバーの顔を見てた3人。こんなに幸せなトライアングルが数十分後には壊れてしまうのが信じられなかった。
でもバラバラの出口からステージを出て行った3人が、それぞれ違う輝きを放って1つになる最後の映像を信じるしかないんだと思った。

すぐに巻き上がるアンコール、涙を拭いながら声を張り上げた、初日とは格段に違う、3人を求める声。
そして許してほしい、ボロボロに泣きながら震えてるのにグレジャニのろばまるトロッコは直ぐさま双眼鏡を構えたろばまらーの性を。

あとこれも許して



アアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ついに!!!!!!!!!!!!!!ついに!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!目の前でろばまるが肩組んだーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!

初日、2日目と完璧反対方向でやられていた肩組み、スタンドのトロッコと全く同じ目線の席で、見れたの、マジ神に感謝、リアルなフェイスに隠すこのプレッシャー(下手か)


トリプルアンコの動く気ありません感、すきだ
そしてリアフェ、ピスフル、この時ばかりは後ろも気にせずペンラ振り上げたよね、もーーー3時間×5回我慢したんだから最後の2曲ぐらいよくない???!?、!?って気持ちで銃ぶっ放して叫びまくった。こんなに自分の好きなグループの名前を叫べるのって幸せなことなんだなと痛感した、6つの文字に愛しさが止まらなかった。聞いたことのないような大音量のコールアンドレスポンス。KAT-TUNとファンが作り出したヘブンが東京ドームにあった。


ほんとはもう一回ぐらい引っ張り出して亀ちゃんと(´∀')やくそくぅ!
やりたかったんだけどダメだったね、約束は次3人に会うときまでとっとくね、
再出航のときまで、私は上田くんに言われた通り沢山笑うね!!!3人とも全力で応援するね!!!


これが長いようで短かかった私の怒涛の5ヶ月間です、冒頭のテンションと大分違いますが、心の傷は時間とともにこうやって治っていくんだなあと感じっとって頂ければ。
こんな長い長い文章を文章を読んでいただいて本当にありがとうございまテンクス!!!!!!!!!!!!!!!!!